結婚  2000.5.13
1月の終わり妊娠発覚から結婚式、新婚旅行までのことを書きます。

1月の終わり、生理が遅れてるのを一人でずっと悩んでて、ある日道君に相談した。2人で妊娠検査薬を買いに行き検査。結果は1分ですぐ出た。陽性。私は一瞬喜んだように思えたけど、すぐ青ざめてクラクラした覚えがある。自分は夢の中にいるみたいだった。
道君のいとこともすっごく仲が良くて、すっごく動揺してる私たち2人を少し落ち着かせてくれて3人で夜遅かったけど、もう一度開いてる薬局を探して買いに行った。2回目の検査。やっぱり陽性。
私たちは沈黙の中どんだけ時間がすぎたか分からない。この時もずっと夢を見てるようで現実なのかどうかさえも分からなくなってた。道君の一言で我に帰った。
「めぐみ。結婚しよ。」
たぶんこうやって言われたと思う。この時私が一番初めに思ったことは「結婚なんて出来るの?!」だった。私はまだ学生。出来ちゃった結婚。長女。親が認めてくれるはずがない。
検査した日、道君のお母さんに話した。すごくびっくりしてまた沈黙が続いてたけど、お母さんは優しく「めぐちゃんの親にまず話してあやまって。」で途切れた。。。。

私は自分の親に話すのが怖くて怖くてしょうがなかった。でも、この時ずっと悩んでたけど、この子は絶対産みたいと決めていた。お母さんに話したら、ショックで泣き詰めだった。この日からお母さんはずっと夜は泣いてばかりだったと後からお父さんに聞いた。ショックで寝込む程だった。でも、私たちの決意はだんだん固くなっていき、親が何を言っても聞かなくなっていった。お母さんが一緒に病院に行ってあげると言っても、一緒に行くと赤ちゃんおろされる!って言って夜中にこっそり置手紙をして、道君と2人で病院へ行ったり。
そのたびにお母さんを泣かしてしまっていた。本当に親不孝物。あの時は一直線になりすぎで回りの気遣いや思いやりに目も向けずに突っ走ってしまった。お父さんにもお母さんにも毎日説得をされるたびにひどい事を言ったりして・・・・。

ある日お母さんと2人きりで食事をしていた時、お母さんは泣きながら私に
「産んでもいいよ。がんばるんだよ。」
って言ってくれた。これまでずっと反対してたお父さん、お母さん。まだ若いし経済力もない。色んな面から心配してくれてたのに、ずっと話を聞かない振りして文句ばっかり言っていた私に。
しかも、私は長女で小さい頃の夢も家の店を継ぎたい事だった。お父さん、お母さんもそのつもりでいてくれた。それもうらぎってしまった。
色んな事が一瞬でめぐり涙が止まらなかった。

それからは、1日1日が本当に早かった。結婚式の準備。出産の準備。市役所。買い物。学校の退学手続き。
毎日毎日することばかりだった。なのに、私たちは遊んでばかりで、よくお父さんに「遊んでる暇なんてないんだぞ」って怒られてました。本当に今思えばあの時は考えが子供で甘かったと思う。
学校の先生にお父さん、お母さんと話しをしに行った。先生も休学したりもできるし、エレベーターも特別に使えるように手配してあげるし。と色々、私の為に考えてくれた。私の両親もそれがいいんじゃない?といってくれた。お腹が大きくなってきて電車で行くのがえらかったら車で送ってってあげるし。とまで言ってくれた。電車で2時間弱もかかる所だったのに。
本当にみんな私の事、赤ちゃんのことを考えてくれた。とってもうれしかった。
でも、私はみんなの期待をうらぎり、簡単に退学を決めた。今思うと最悪な人間だった。毎日、逃げてばかりの弱い人間だった。

結納が終わってからも、忙しいのは変わらず道君とのケンカも多くなってきた。私も道君も精神的にいかれてきた。きっと両親はもっと辛かったと思う。
色んなプレッシャーや不安に毎日押しつぶされそうになりながら、どんどん近づいてくる結婚式に「本当にこれで大丈夫なのかな?」と思うようになってきた。でも、周りの暖かい思いやり、道君の愛、赤ちゃんへの思いから吹っ切れることが出来た。


いよいよ結婚式当日。5月13日。朝。私は妹たちと着付けに入った。道君は後からだった。
ぞくぞくと、親族、友達、恩師。みんなが来てくれた。それだけでもううれしかった。
真っ白いウエディングドレス。みんなが「きれい!おめでと!」と言ってくれるたび幸せが舞い込んでくる様だった。式が始まり、道君と2人長い階段を1歩づつ踏みしめるように下り、真っ赤なオープンカーに乗り式場の周りを1周した。とっても恥ずかしかったけど、見知らぬ人からの「おめでと〜!」が本当にうれしかった。
教会。お父さんと歩いたバージンロード。もう涙が出てきて、ベールで隠しながら歩いたっけ。お父さんと腕を組むのもなんとなく恥ずかしくて。道君に私を預けるお父さんの気持ち。どんなだったのかな?

披露宴。私は、代々伝わる年代物の着物姿になり、道君は袴姿で、仲人さんと入場。
夢の様だった。スポットライトが暑くてずっと下を向いてたっけな。帯でお腹が締め付けられて体調が悪くなり、退場して次の色ドレスにお色直しした。
真っ赤なドレス。これが一番お気に入りだった。キャンドルサービス・ケーキカット。
友達の歌。先生のスピーチ。どれも涙が出そうで我慢ばっかりしてた。

もう1回ウエディングドレスにお色直し。お父さんと入場した。途中で道君と交代するとき、お父さんは道君の手にバトンタッチをした。この瞬間タイタニックのサビの部分と調度かさなり涙が・・・。泣いてばっかりだぁ。
最後の花嫁の両親への手紙。少ない文章だけど、がんばって何日かで考えた。読み始める前から涙が止まらなくて声にもならなくて・・・。本当に号泣でした。みんなががんばれ〜!って言ってくれてがんばって読もうと声を出そうとしても嗚咽と涙で声が出ない。もう今までのことが頭の中に浮かんで、両親への感謝の思い。姉妹への感謝の思い。今まで助けてきてくれた友達、先生の暖かい思い。本当にありがとうでいっぱいでした。
道君がかわりに読んでくれる事になりひとりで泣いてました。本当は読まなきゃいけないのに。ここでも、両親に悪い事をしてしまいました。
最後の花束贈呈でも、涙は止まらずお母さんは「しっかりね、がんばるんだよ」と言ってくれました。今まで本当に迷惑ばっかり掛けて、心配させて、怒らせて、泣かせて。それなのに最後にはいつも暖かく見守ってくれた。お父さん、お母さん。本当にありがとう。幸せです。


新婚旅行は、穂高に行きました。初めての2人の旅行。お腹も目立った来て、道君はずっと気を遣ってくれてました。ちょっとした段でも手を差し伸べてくれたり。
混浴があるところだったんですが、男湯の方が混浴兼になっていて、女湯から男湯に中から入る仕組みになっていて、すっごく勇気がいるな〜これ。と思って体洗って行こうとしたら、道君が知らないおじさんと話してて、新婚旅行なんですよ〜とか言ってて、とても入っていく勇気がなくてやめて出ました。でも、すっごく山の空気がおいしくて露天風呂の下は川が流れてて気持ちが落ち着きました。あとはロープーウェイに乗ったり、熊牧場に行ったり、のんびり旅行でした。



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